Human’s house × Treasure box
1973年、東京に生まれた野村さんは幼稚園から高校まで学習院に通うと、慶応大学総合政策学部に進学。実家は裕福。高学歴。ですがその恵まれた環境とは裏腹に野村さんには常に空虚感が付きまとっていました。
「俺って何なんだろう」
青い衝動は学生時代の野村さんをあっさりと世界に放ちます。
ハマっていたアメリカンな趣味、スケボーやBMXの憧れは高校生の野村さんを単身アメリカへと向かわせましたし、合わなかった大学の雰囲気で得てしまった鬱憤は3ヶ月のインド旅行へと突き動かしました。
野村さんは行く先々でいろんな人と親しくなり、連絡先を交換。のちに彼らとの繋がりは、26歳の頃に生まれたインタビュー誌『SPUTNIK/whole life catalogue』の完成に存分に生かされることになります。
大学を卒業した野村さん。鬱憤は晴らせたものの、なかなかその先を見据えることができませんでした。ぶらぶらしていたある日、家具製造販売IDEEの黒埼社長と出会います。運命の出会い。黒崎社長のなにか面白いことをできないかという提案のもと、野村さんはIDEEからお金を借りて海の家をつくることに。
自分たちが遊んでたみたいな、ちゃんと夕焼けが見れて、chill out 出来て、いろんな音楽がタダで聞けて、人が集まって、雑多な感じにしたい。
▲ 二人がタッグを組んだ海の家「SPUTNIK」 ロシア語で“旅の道連れ”を意味する
黒崎社長は辻堂に出来た海の家「SPUTNIK」をとても気に入り、今度は別の話を持ちかけます。……なにか若者のカルチャー雑誌を。二人とも世界中を回っている経験、野村さんが世界中に友達がいることを生かせるような。
早速、野村さんは一番安い3ヶ月間の世界旅行のチケットを買い、飛び立ちました。やはり単身で。
ランキンが「俺たちもかつてそういうことをやってきたけど、ひとりでやってるのは悲惨だな」と指摘したように、野村さんの取材旅行は無謀と言えました。実際、野村さんはほとんどの著名人から門前払いをくらいます。それも当然でした。野村さんは一般人で、事務所もコーディネーターもいないのですから。
▲ ジェファーション・ハックとランキン・ワデルが始めたイギリスのトレンド・マガジン「デイズド」(Dazed & Confused)
しかし野村さんはめげず、まずはと、これまでの旅路でできた友人たちを尋ねまわりました。友人想いな彼らは無謀だけど行動力と若い熱弁を武器になにか重大な試みを遂げようとしている異国の友人に手を差し伸べ、電話番号から現住所から、勤務地からメールアドレスなどを教えます。アポがないので、これだけではやはり門前払いですが、野村さんは秘書にも熱弁を奮って、会うためのポイントなどまで入手してしまいます。
そうして何度も何度も、玄関からはもちろん裏口から窓から扉という扉を叩いては熱弁を奮うパワフルな日本人の存在に歴々の著名人は気づき、いつかの自分たちを見ている懐かしい気持ちになりました。
そして会ってしまえば野村さんの独壇場。若くもインテリジェンスな“口説き落とし”で、取材内容の掲載と、のちの心強い絆を見事に勝ち取ったのでした。
登山家ラインホルト・メスナー。建築家パオロ・ソレリ。デジタル・ビーイン活動を行ったマイケル・ゴズニー、アメリカの作家ケン・キージー、ファッションデザイナーのポール・スミス、……他にも人類学者、プロスケーターなど、野村さんが取材した著名人は多岐に渡り、90年代の時代背景とももに、貴重な肉声として雑誌『SPUTNIK/whole life catalogue』に掲載された人数は実に80人以上にのぼります。
▲ ディテールまで凝っている『SPUTNIK/whole life catalogue』 英語と日本語が並ぶ
2000年の伝説のインタビュー誌の完成は、当然のように野村さんの知名度を飛躍的にあげました。知名度は彼に新しい仕事と新しい人脈を与えました。
刊行後は、雑誌「SPUTNIK」での執筆活動や二階建てバスでの日本横断旅行というユニークなイベント企画、IDEEから家具の製作活動などで改めて経験と実績を積んでいきます。それは学生時代から抱えていた野村さんの実際的な自分探しの旅でもありました。
一一とりあえず、これからのご活動っていうのは、さっきおっしゃってた、場所みたいなものを・・
ええ、作ったりしたいし、まあ、いろんなことをやっていきたい。僕は、人を集めて、組織立てるっていうんじゃないけど、そういうのをやりつつ、まだ、自分は何が一番向いてるのか探せたらいいなと思うけど。
そうしてワールドワイドではありながら、郷土愛から活動の拠点・視点を国内に移します。自身に対する取材を含め、著名人との対談、イベントの企画・監修、アートディレクションなどの活動の傍ら、そしてクリエイター活動の拠点でもあり、現在は家具製作とショップやレストランの内装デザインをメインに手がける「TRIP STAR」を設立。野村さんはついに一つの“場所”を得たのでした。
▲ シェアオフィス『partyground』のビジネステーブル
▲ TRIP STAR監修店舗 開放的で、ほんのりアメリカン 木漏れ日の差すレストランまで幅広く手がける
野村さんの作家の方からはあまり自己主張したくないという、職人的な性格がよく表れたサイトデザイン。
そしてApple社からiphone6の発表会に招待されるなど、仕事量と共に、野村さんの認知は増加の一途。一直線に駆けていく野村さんの姿に感銘を受ける人が日増しに増えていくなか、2008年にもう一つ、プライベートの方でも佐田真由美さんという場所を得ることになります。
佐田真由美さんについてはこちら。
佐田真由美さんも自身のジュエリーブランドEnasolunaをプロデュースをしていますから、プロデュース夫婦というわけですね。(*´∀`)
現在、二児の親になったお二人は、都内の閑静な住宅地にあるヴィンテージマンションで、蛯原友里さんRIP SLYMEのILMARI夫妻と共に「建物シェア」をしています。
夫婦仲はとてもいいようです♪
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